原惣右衛門元辰

「とうかさん」は忠臣蔵で有名な赤穂義士ゆかりのお寺でもあります。日本精神の華と世界に知られている赤穂義士「原 惣右衛門元辰」は「とうかさん」を熱烈に信仰しておられました。

元禄16年(1703年)2月4日に惣右衛門切腹後、安芸広島藩第5代藩主浅野吉長は惣右衛門の妻子を広島に呼び寄せ、嫡男「原惣八郎辰正(重次郎)」は広島藩に召し抱えられる事になりました。惣右衛門の妻も熱心に「とうかさん」を信仰していたことから享保18年(1733年)7月4日妻が亡くなると、惣八郎は両親の墓を当山に建立し供養されたのです。その後、惣八郎をはじめ子孫の墓が当山に建立される事となったのです。

しかし、昭和20年(1945年)の原爆投下後、都市区画整理法により寺領を大幅に縮小した当山は、墓地を再建するにあたり一家に墓石一基と定め、原家も例に漏れず原惣右衛門ご夫妻の仏石を原家の墓と定め原家の子孫の方々が埋葬されています。